講師紹介(藤山葉子)
講師紹介
熊本音楽短大(現、平成音楽大学)専攻科ピアノ科卒業
熊本県新人演奏会出演
保育専門学校講師、熊本市育児教室講師を務める
トラや帽子店コンサートを3回主催し、満席で開催する
さいたコンクール、グレンツェンコンクール指導者賞
ピティナセミナー2014年、熊本から初の50講座終了
幼稚園
幼い頃から音楽を聴くのが好きで、幼稚園に音楽教室が出来た時にはとても入りたいとせがみました。
しかし、病弱なために入会日にも病気で休んでいたため、入会がかないませんでした。
小学校
幼稚園の時に希望がかなわなかったために、記憶にはないが、ピアノを習いたいと言い続けていたようでした。
不憫に思った父は、小2の時に電気オルガンを買ってくれました。
嬉しくて、習いたてなのに「エリーゼのために」の楽譜をすぐに買いにいきました。
中学校
吹奏楽部でクラリネットを吹いていました。
上達が早いと先輩に言われ、ますます音楽が好きになりました。
高校
早く登校し、授業が始まる前に、練習室でピアノを練習しました。
そして、昼食を早めに済ませ、昼休みも練習し、放課後も部活(水泳部)が始まる前に練習するという、ピアノ三昧の日々でした。
コーラス部は、全国大会で優勝するほどの強豪校だったのに、入部テストで入れなかったので、悔しくてよりピアノにますます気持ちを向けて練習に励んだ思い出があります。
大学
ピアノ科で一番になりたくて、長期の休みには、必ず教授の自宅(北九州市)に通っていました。
朝一番の市電に乗り、JRで博多まで乗り、快速で小倉まで行き、また西鉄に乗り換え、やっと先生のお宅にたどり着くという片道5時間。
新幹線のない時代によくがんばりました。
ひたすらピアノを弾いていました。
連弾や2台のピアノなど、それまで体験したことのないピアノ演奏がとても楽しい3年間でした。
社会人
高校までついていた先生に推薦され、熊本県新人演奏会のオーディションを受け、合格し、出演しました。
初めての対外的なステージ演奏。
舞台袖で大学の時の先生が見守って下さったお顔が忘れられません。
大学卒業後も出産するまでその先生にレッスンを受けましたが、残念なことに中学生のお子さんを残して、病気で亡くなりました。
その後、新たに先生を探し、また子育てをしながら、先生が亡くなるまで通い続けました。
子どもを背負って、毎日練習に励んだのは、忘れません。
旅行でパリに行った時、ホテルでピアノを弾いたら、いろんな人が寄ってきて拍手を浴びたのはとても心地よくて、音楽は世界共通を実感したひとときでした。
思い出の生徒さん
・4歳のごうき君!
「誕生日に自転車を買ってもらったもん」と話してくれました。
「良かったね」と答えると、次の日、自転車に乗って見せに来てくれました。
車で20分程の所から、小さな自転車をこいで‼
その頃、おうちでは姿が見えないと大騒ぎになったそうですがごうき君の気持ちが、本当に嬉しく思いました。
・5歳から高2まで、通ってくれたななちゃん
小2の発表会のプログラムに「私は、ピアノが大嫌いです」と書き、周りは、びっくり‼
お母様は「無理してさせているのでしょうか」と涙ぐまれました。
しかし辞めることなく、受験期の高2の終わりまで続けてくれて、東京の大学3年の頃、訪ねて来て”英雄ポロネーズ”を聴かせてくれました。
またビックリ!バイトして電子ピアノを買い、練習してると言います。
やはり、グランドピアノがいいですねと、何度も弾きました。
独学でよく頑張って仕上げました。
・小2の時、家の事情で辞めたやすと君!
ある日、立派な男性(35歳)がピンポーンを鳴らす音が。
「またピアノがやりたいです。」と。
東京から実家に戻ってきて、訪ねて来てくれました。
仕事の事情でわずかな期間でしたが、その後も何かと訪ねて来てくれ、熊本地震の時には、冷蔵庫の移動など手伝ってくれ、とても助かりました。
自慢の生徒さん
・三つ離れたお姉ちゃんより2年遅れてお稽古を始めた5歳のこうたろう君。
お姉ちゃんを早く追い越したくて、時には、1週間で教材の1冊を弾いてくるという頑張り様に驚きました。
そして、あっという間にお姉ちゃんを追い越しました。
・大人になって子どもの頃の夢を果たそうと、初めてお稽古を始められた還暦前の女性!
「基本からお願いします」と熱心に、日々の練習に励まれ、3年目にはコンクールで「幻想曲さくらさくら」を弾き、ピアニストの有森博氏から、賞を貰われました。
・宮崎県椎葉村から通ってきてくれた小2のもえちゃん!
村でたった一人のピアノの先生が引っ越しをされて「井の中の蛙で育てたくない」というご両親の方針で、県を超えてのレッスンとなりました。
中学も熊本市内をお考えのようで、なるべく長く続けてほしいと、ピアノ教室も熊本市内を探されました。
車で片道2時間半。
金曜日、下校後に車でみえてレッスンを受け、その日は宿泊という日を6年生まで続けられました。
残念ながら、ご本人が宮崎市内の中学校を希望されたため、レッスンは中断されましたが、希望の医学部にも受かり、今でも交流が続いています。
・3歳のリトミックから通われてる高1のさとし君!
高校受験でしばらく休まれましたが、ちゃんと復帰されました。
入学された高校でピアノのうまい同級生と親しくなり、文化祭で連弾をすることになりました。
「ピアノが弾けていいね」と他の同級生からもうらやましがられてご満悦です。
10年続けられたら、活躍の場が広がります。
励まされたご両親に感謝致します。
長い時間関わられた私も幸せです。